寒い夜は立喰蕎麦で。
仕事が終わって外に出た。
辺りはすっかり暗くなっており、家路を急ぐ車のライトが行列を作っていた。
北風が俺の体に容赦無く突き刺さる。
寒さに耐えきれなくなった俺は、近くにある立ち喰い蕎麦屋に逃げ込んだ。
戸口のガラスが水滴で白く曇っている。
「牛蒡天そばと卵。」
客はまばらだ。
狭い店内に、茹で釜のぐつぐつという音と、麺をすする音だけが響き渡る。
俺は小銭を数え、蕎麦を受け取るタイミングで店主にそれを渡した。
去年の今頃だっただろうか。
某テレビ番組で、そばやうどんに落とす卵の食べ方の特集をしていた。
そこで紹介されていたとある方法に俺は虜にされてしまい、それからというものは必ずやってしまう。
落とし卵に直ぐに箸を刺し入れる。
だが、そこでかき混ぜずに、その卵の池に蕎麦をくぐらせて食べるのだ。
黄身が蕎麦と絡まり、なんとも言えない滋味溢れるものとなるのである。
からりと揚がった天婦羅をかじりながら、少々熱めの汁を口に含んで飲み干すと、温かさが喉を伝って、胃のなかでふわっと拡がるのが判る。
ほっと息をついた。
外の渋滞はやっと動き出したようだ。
「ご馳走さん。」
そう言って器をカウンターに置くと、男は湯気を纏いながら小走りに帰ってゆくのであった。
(完)