「しょうがない」日

まあ、正確にいうと、9日なわけですが。

振り返ってみると、あれは個人レベルでみれば、確かに「しょうがない」話であって、
同窓会の席なんかで数人と飲みながらであれば問題なかったはずなんだよね。


でも、スピーチでいっちゃあだめだよね。ぶり返すようだけど。
スピーチはもう政治家としては日本中に配信する言葉になっちゃうからねえ。
というか、しょうがないの部分を省けば、結果論としてだれでも「そうだよね」
って思う無難な内容なのになあ。


周りの若いもんが好き勝手やって平和を満喫して、
いろんな未来をみているなか、自分の身内が亡くなった
レベルを振り返ってみれば、たぶん(過ぎ去ってしまったことはもう)
「しょうがない」って言うしかないでしょ。
いつまでも泣いていられないし。それよりもまずやることが・・・
やれることがある・・と。


あそこは、世間一般の人がそうであるように、教科書レベルの資料を見て、
紙面で亡くなった人の数値に驚愕して、はだしのゲンなんかのグロい描写を
思い起こして、ただ漠然と、「ああ、むごかったんだなあ」という感情のもと、
「こんな悲劇を二度と起こしちゃいけないですよね」と答えるのが正しいよね。
(たとえうわべだけだとしてもね。)


リアルタイムで体験した人でなければ、その時の苦しみ、憎しみ、悲しみを
正確に後世に伝えることは今のところ不可能で、
たとえ体験者が涙を流して当時を語ってもらい泣きをしても、
風化は免れない。


しょうがないんですよ。


今のところ不可能・・・・
体験したときの記憶を媒体に記録して、疑似体験できるようになれば変わるかしら?
でもそうなったときは、創作物もリアルに体験できるようになって、
単なるホラー映画と似たような類になりそうだな。


それにしても、俺(の世代)ですらこのぐらいの認識しかないとすれば、
すでに物心ついてるこの次以降の世代は・・・
たぶん目もあてられないんだろうな。
戦争に行っていたうちのじいちゃん達ももう死んじゃったしな。


「戦争はよくない」(ってみんながいっているから)主張します。
http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070630/ssk070630000.htm